しょうがない

なんのためになにを主張したかったのさっぱり分からん。目を引くような際どい発言をして注目を集めたかったのかなぁ。この人過去にも長崎市長選とかでも失言してるけど…

気になる点がいくつか。

「本当に原爆が落とされた長崎は、本当に無傷の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなという風に思っているところだ」が見出しでは「原爆投下はしょうがない」などとなっている。私には「しょうがない」の主語は「頭の整理」だとしか思えないんだが。「原爆の投下を肯定すると受け取られかねない」、というのはその通りかも知れんが、発言のニュアンスは違う。まあこの程度の違いは生む機械発言とかでも見られたわけだが… 私の解釈は、「そういう理解で自らを納得させるよりしかたがない (被爆地出身議員であることも加味すれば、そういう理解の仕方で亡くなった身内なり知り合いなりは無駄死にじゃなかったと自分を納得させているのかも知れない)」という感じか。甘過ぎ?

この発言に見られる原爆投下の正当化は、アメリカの認識だよな。さすが親米安倍政権の閣僚、というところだが、一方で前政権は他国、主に中国と韓国からはそれぞれとの歴史認識のズレが批判されていたわけで (裏を返せば、久間発言とは異なる認識を持っているおそらくは大多数の日本人は、アメリカから「歴史認識がおかしい」と批判されてもおかしくはない…)、バランス感覚というのは難しい。ま、この点は「特亜」が特殊なんだという意見もあろうが…

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://makoto.minoura.org/d/mt/mt-tb.cgi/234

コメントする

このブログ記事について

このページは、みが2007年7月 2日 21:17に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「会期延長、強硬採決」です。

次のブログ記事は「落書」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。