2008年11月アーカイブ

欧米 (英語圏?) では、泥酔するとピンクの象の幻覚を見るんだそうだ。

ディズニー映画「ダンボ」の中盤に、主人公たちが誤ってワインを飲んでしまい、ピンクの象の幻覚を見るシーンがあって、大変印象的だ。Wikipediaに項目があるくらい有名な怖いシーンらしい。今見てもさほど怖い気はしないが、文化的なものなのか、子供のころの思い出なので印象が増幅されているのか。

興味のある方はyoutubeででも探してみてください。

カステラというお菓子は、牛乳を使わずに作ることができるため、かつて牛乳が高価だった日本でも普及したんだそうだ (あるいは、牛乳を使わないように日本で改良された、と言う説もあるようだが、似たようなスポンジケーキやパウンドケーキでも使わないのでどうかなぁという気がする)。

ということを、「ぐりとぐら」を読んでいて思い出した。

BIOSアップデートで行けた。新BIOS公開日を見ると、ギリギリで惨敗を逃がれた感じ。

自宅デスクトップPCの光学ドライブがおかしくなり、DVD系メディアは問題ないのにCD系は気紛れにしか読んでくれなくなった。これは少々不便なので (というかドライブを一番使うのは手持ちの音楽CDをiPodに取り込む時なので)、調べてみたらCD系、DVD系なんでも (殻付きDVD-RAM除く) 読み書きできるタイプなら数千円で買えるらしい、ということで、交換してみた。BDはデータ用としては容量が中途半端、Video用としてはディスプレイがHDCP未対応で意味なし、かつ価格が跳ね上がる、ということで見送り。ツクモ応援キャンペーン中につき (嘘) 九十九電機でポイントも使わず (ホントは60ポイントくらいしかなかったから) 現金払い。Labelflashとかいう機能が楽しそうなI-O DATAのDVR-SN20GLてやつ。

早速取り付け。ケーブルが付属してなかったので手持ちのやつを... 長すぎるな(汗; 大は小を兼ねるからいいか。

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起動しない(汗; ファームウェアが何やら太字でWarningとか一瞬表示するんだが、読み取れない。むーん

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どうやらICH9RのSATAポートをRAIDモードにしているのが問題のようだ。今までのドライブはパラレルATAだったのだが、何も考えずにSATAにしたのが敗因か? ダメもとでRAID1を解除してみたが、結果は同じ。もしかしてICHのRAID機能は光学ドライブをつなぐと使えないダサい仕様なのだろうか。まさかね。この機能SATAがなかった頃からあったじゃん。

BIOSでSATAのモードをAHCIにしてWindowsを起動してみると、Windowsのロゴが数秒でたところで青画面。ドライバもAHCIにしないとダメなんだろう。ドライブをはずしてRAIDモードで起動し、ドライバを変えてみようと思ったが、AHCI → RAIDのときのように簡単にはいかないようだ。むーん、Windowsの起動CDを使って修復するしかないか、と思ったが、手元にはXP SP2のCDしかないのにインストールされているのはSP3。SP3のCDを作るのは本来簡単なはずだが、焼くドライブがない (苦笑)。惨敗ダー

ふとマザーボードのメーカーのページを見ると、先月末にBIOSの更新がリリースされていて、その修正点の中に「support SATA ODD w/ RAID mode」とかいう文字列を発見。というところで今日は時間切れ。明日に続く(お

初めて買ったノートパソコンは、Casioから出ていたCassiopeia FIVA 101なる機種だった (CasioのFIVA 101のページはなくなっちゃってるのでスタパトロニクスのリンクを張っとこう)。一時期毎週ノートPCを買っていると言われていたとあるロボ友人が勧めてくれたもの。今は亡きCyrix (後にNational Semiconductors、今はAMD) のMediaGXというプロセッサを採用し、Microsoft Windows 98搭載、6.7インチで800x600の解像度を持った (当時の) Casio自慢のHAST液晶ディスプレイ、妙なところにあるタッチパッド (Casioはサムパッドと呼んでいた)、標準バッテリ (たしか2時間くらいは使えたと思う) 込みで840gの軽量というところが特徴かなぁ。

一見頑丈そうに見える筐体だったが、実はCasioらしくとってもヤワで、ゴム足は1つまた1つと失くなり、バッテリを固定するツメも間もなく折れ、しばらくするとディスプレイも接触不良でうまく映らなくなった。取引先に資料参照やメモ取りなどのために持ち込み (当時は普通に許されていた)、油断したスキに電池が外れてプチン→SCANDISK、ということを繰り返していたのも懐しい思い出。ディスプレイは、キーボードのMのあたり (この下あたりにディスプレイのコネクタがある) を強く押すと映るようになった。強く押し過ぎて内蔵HDDが壊れたこともあったw

苦労しつつ2002年にLet's Note R1を買うまで3年弱持ち歩き続け (途中からはWindows 98からNetBSD+GNOMEに移行、その過程でデバイスサポートなどを自分で強化したりした)、その後も自宅のルータ兼サーバとして活躍してもらった。インターフェイスはCardBus1つとUSBしかないので、ルータとして動かすためにはUSBイーサを使う必要があった訳だが、こいつが安定せず (当時のNetBSDのOHCIドライバのせいか、ハードウェアに問題があったのかは今も不明だが、おそらく両方だろう。OHCIのドライバにいくつもバグがあったのは事実で私も直したし、WindowsでもUSBが安定しない問題はあった)、数ヶ月後にはディスプレイの壊れた別なノートPCを貰ってきて、その後はそいつのシリアルコンソールになった。

2004にR3を買い、R1がサーバになるとシリアルコンソールとしてもお役御免となり、放置されていた。去年くらいからR1の負荷が上がり始めると一部のサービスを肩代わりさせたりも試みたが、MediaGX 200MHzと96MBのメモリではものの役にも立たず、X40導入で完全に引退。昨日家電回収車に引き取ってもらった。放置期間も含めて9年強、よく働いてくれました。ごくろうさまでした。

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