2009年12月アーカイブ

文字通り夢だけにならなくてよかったね。

「ボーイングの新型機『787 Dreamliner』、初飛行に成功」という記事は間違いが多い。Paine FieldはBoeingの工場に隣接しているが同社の所有ではないし、Boeing Fieldはシアトル・タコマから29マイル南ではなくPaine Fieldから29マイル南だ。

ちなみにBoeing FieldはBoeing社と直接関係があるわけではなく、Boeing社の創業者の名前を取ったものらしい。

長女、お風呂は大好きのようで、入る前機嫌が悪くても入っている間は割と機嫌がよい。しかし、出た後は毎晩泣く。母親が抱っこするかおっぱいをあげないと泣き止まない。

たいていは、父親か母親のどちらかが長女を風呂に入れ、長女と入れ替わりに長男を入れて残った親は長女の体を拭いたり服を着せたりする。父母どちらが風呂に入れるかは長男がその日の好みで決定する。「お母さんと入る」と言う日はなかなか悲惨で、長男がたいへんな長湯なのでその間長女は泣き続けることになる。

ここ数日は、「お父さんとみんなで入ろう」と3人で入浴するよう水を向けると、従うようになったので助かる。父体洗う → 長男呼んで体洗う → 長男は浴槽に入れ、長女を呼び体洗う → みんなで浴槽という手順。

一方でここ数日長女の寝付きが悪い。1時間くらい抱っこしたままじゃないと寝付いてくれない。つまり、ベッドに置くと泣く。iPhoneなみの加速度センサ内蔵。夜中に空腹で起きたときも同様。おかげで寝不足だ。

kqemuっていつの間にか削除されてるんだなぁ。

ちびすけとシンケンジャーの初めての遭遇は、半年ほど前。近所でロケしてたのを見かけたらしい。

我が家のテレビがDVDモニター兼NHKおはよう日本専用受信機となって久しく、テレビでシンケンジャーを見たことがなかったわけだが、親がテレビに対する興味を失くしているだけで、ちびが見ることを禁止しているわけでもない。最近は保育園で流行っているようで、シンケンジャーごっこだの戦いごっこだのと口走るようになった。見たこともないのにごっこというのもどうかと思い、機会を見計らっていたのだが、日曜の朝7時半というのはなかなかテレビを見にくい時間で、食事中だったり前後のあわただしい時間帯で忘れていたりまだ寝てたりwする。が、ようやく何週間か前に時間をとらえた。

しかしながらテレビを見なれていないちびには興味が持てなかったようで、変身してシンケンジャーが登場する時間には飽きてブロックで遊んでいたw

その後もシンケンジャーごっことか言っては悪役の笑い声のマネらしき妙な笑いを披露したり部屋の中で暴れたりしているが、重大なことに思い当った。もしかして、彼にとってシンケンジャーとはテレビの中の絵空事ではなく、ずっと身近な現実の存在なんじゃなかろうか。なにしろ、彼らとのほとんど唯一の邂逅が、保育園の前のいつもの遊び場に忽然と現れ、なにやら戦っていた情景なのだから。

それとも、そもそも3歳児に現実と虚構の区別がつく訳もないから問題ないんだろうか。

首相もアレだが、負けた筈の人びとが強過ぎてますますヒドイことになってるよーな

幼稚園のころ、小学館の雑誌「めばえ」~「幼稚園」を買ってもらっていた。小学校に上がるとき、その延長の「小学1年生」か、学研の「1年の科学」と「1年の学習」かどちらかを選ばされた記憶がある。子供心に迷って、月ごとに交互にする、とかの妥協案もあった気がするが、結局は学研になった。親の誘導もあったのかもしれない (今考えるとどう見ても「科学」と「学習」のセットの方が高い)。以後6年間読み続けた。

「~がなかったら今の自分はない」と思えるものはいくつもあるが、「科学」と「学習」はその筆頭のひとつだと思う。なんとかさん (忘れた) とかいうおばあさんが毎月月末になると配達にやってきた。独特のアクセントで「ごめんください。学習持って来ましたけど」。これが楽しみで、配達が遅れるとずいぶん不満だった。

小学生時代の小遣いは、月に学年×100円 (3年生なら300円) だった (「科学」と「学習」は別枠で親に買ってもらっていた) が、中学年くらいのころは小遣いをためては学研のマンガ「ひみつ」シリーズを買っていたと思う。「科学」と「学習」と同じ出版社であるから、おそらくこの2つの雑誌に出ていた広告で知ったんだろう。「ひみつ」シリーズは、もしかすると「科学」と「学習」以上に今の自分に影響を与えているかもしれない。

小学校も高学年になると、今度はお小遣いが学研の「電子ブロック」に化けることになる。工学部電子工学科を出てエンジニアになった現在の自分に決定的な影響を与えたおもちゃだ。これはもうよく覚えているが、「科学」の広告を見て欲しくなったもの。写真がえらくかっこいいの。実物は結構しょぼいんだが。100とおりの回路図が付属した「EX-100」は多分お年玉で、以後は小遣いをためては追加パーツを買って「EX-181」相当にした。

こう考えると、小学校時代の俺の小遣いは、大半が「科学」と「学習」を媒介にして学研に貢がれたことになるなぁ。なんということだ。

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