Cassiopeia FIVA 101の思い出

初めて買ったノートパソコンは、Casioから出ていたCassiopeia FIVA 101なる機種だった (CasioのFIVA 101のページはなくなっちゃってるのでスタパトロニクスのリンクを張っとこう)。一時期毎週ノートPCを買っていると言われていたとあるロボ友人が勧めてくれたもの。今は亡きCyrix (後にNational Semiconductors、今はAMD) のMediaGXというプロセッサを採用し、Microsoft Windows 98搭載、6.7インチで800x600の解像度を持った (当時の) Casio自慢のHAST液晶ディスプレイ、妙なところにあるタッチパッド (Casioはサムパッドと呼んでいた)、標準バッテリ (たしか2時間くらいは使えたと思う) 込みで840gの軽量というところが特徴かなぁ。

一見頑丈そうに見える筐体だったが、実はCasioらしくとってもヤワで、ゴム足は1つまた1つと失くなり、バッテリを固定するツメも間もなく折れ、しばらくするとディスプレイも接触不良でうまく映らなくなった。取引先に資料参照やメモ取りなどのために持ち込み (当時は普通に許されていた)、油断したスキに電池が外れてプチン→SCANDISK、ということを繰り返していたのも懐しい思い出。ディスプレイは、キーボードのMのあたり (この下あたりにディスプレイのコネクタがある) を強く押すと映るようになった。強く押し過ぎて内蔵HDDが壊れたこともあったw

苦労しつつ2002年にLet's Note R1を買うまで3年弱持ち歩き続け (途中からはWindows 98からNetBSD+GNOMEに移行、その過程でデバイスサポートなどを自分で強化したりした)、その後も自宅のルータ兼サーバとして活躍してもらった。インターフェイスはCardBus1つとUSBしかないので、ルータとして動かすためにはUSBイーサを使う必要があった訳だが、こいつが安定せず (当時のNetBSDのOHCIドライバのせいか、ハードウェアに問題があったのかは今も不明だが、おそらく両方だろう。OHCIのドライバにいくつもバグがあったのは事実で私も直したし、WindowsでもUSBが安定しない問題はあった)、数ヶ月後にはディスプレイの壊れた別なノートPCを貰ってきて、その後はそいつのシリアルコンソールになった。

2004にR3を買い、R1がサーバになるとシリアルコンソールとしてもお役御免となり、放置されていた。去年くらいからR1の負荷が上がり始めると一部のサービスを肩代わりさせたりも試みたが、MediaGX 200MHzと96MBのメモリではものの役にも立たず、X40導入で完全に引退。昨日家電回収車に引き取ってもらった。放置期間も含めて9年強、よく働いてくれました。ごくろうさまでした。

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コメント(2)

216XLの思い出ならありますよ。東京出張に行った時、秋葉原で売りつけられたと言う(ぉ まだあるけど、暫く通電してないっす…
あぁ、そういえば秋葉某所に世界一Fiva 2xxを売ったイヌが住んでいましたね(お 突然死に見舞われなかったのは幸運でしたね。 私はMediaGXでマイナーCPUは凝りたので、Fiva 2xxは見送りました。以後ノートはIntel一本槍です。

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このページは、みが2008年11月 4日 21:58に書いたブログ記事です。

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